楽しいバッハを聴いてみませんか?
  ―― 『コーヒー・カンタータ』への招待

02/02/2026

バッハって、どんな人?

バッハと聞くと、どんなイメージが浮かびますか?
厳粛な教会音楽、整然としたフーガ、譜面の上を精密機械のように動く音符たち――。
「神に仕える職人」「信仰一筋の人」といった印象を持つ方も多いでしょう。確かに、バッハは敬虔なルター派の信徒であり、その音楽は宗教的な精神性に満ちています。だが一方で、彼を「厳格で近寄りがたい人」と思い込むのは、少しもったいない話なのです。

実際のヨハン・ゼバスティアン・バッハは、驚くほど人間くさい人物でした。
愛妻家で、子だくさんの父親(子どもは20人!)。気難しい上司と衝突したかと思えば、弟子と酒を飲み交わし、街の居酒屋で音楽談義に花を咲かせる。そんなエピソードがたくさん残っています。バッハは、神に仕える音楽家であると同時に、日常を楽しむ庶民でもあったのです。

その「人間くさいバッハ」を覗ける作品こそが――
《コーヒー・カンタータ(Kaffeekantate, BWV 211)》 です。
(記事の最後に、歌詞の抄訳があります)

父と娘の“コーヒー論争”

《コーヒー・カンタータ》は、1730年代前半、ライプツィヒで作曲されました。
正式には宗教曲ではなく、いわば世俗カンタータ。バッハが監督していた音楽団体「コレギウム・ムジクム」が、街のコーヒーハウスで演奏するために書かれた、ユーモアあふれる小品です。

物語は単純明快。
コーヒーに夢中な娘リースヒェンと、そんな娘を心配する父シュレンドリアンとの、親子げんか。父は「コーヒーをやめなさい!」と説教しますが、娘は「絶対いや!」と反発します。娘のコーヒー愛はまるで現代のカフェラテ中毒のよう。ついには「結婚相手がコーヒーを飲ませてくれなければ、私は嫁に行かない!」と宣言してしまう始末。最後は、父もすっかり諦めてしまう――という、何とも微笑ましい結末です。

このやり取りを、バッハは軽妙な音楽で描き出します。
娘のアリアでは、彼女がコーヒーを恋人のように語り、「ああ、コーヒーなしでは生きられない!」と歌い上げる。まるでオペラの恋愛告白のような情熱です。バッハの筆は、厳粛な神への祈りよりも、こうした日常の愉快な瞬間を描くときに、むしろ生き生きとして見えます。

コーヒーは当時の「贅沢品」

さて、ここで少し時代背景をのぞいてみましょう。
18世紀前半のヨーロッパでは、コーヒーはまだ高級嗜好品でした。
トルコやアラビアからもたらされた“東方の飲み物”は、当初は王侯貴族や富裕市民しか口にできないものでした。ライプツィヒのような学問と商業の街では、コーヒーハウスが次々と誕生しますが、それでも一般庶民が毎日飲めるような代物ではありません。

つまり、娘リースヒェンが「コーヒーを毎日飲みたい!」と駄々をこねるのは、当時の感覚からするとかなり贅沢な話だったのです。
今で言えば「毎朝スターバックスで限定のラテを飲まなきゃ気が済まない」と言い張るようなものでしょう。父親があきれるのも無理はありません。

この「高級嗜好品をめぐる親子の諍い」を、バッハは洒落た音楽喜劇として描き出します。そこには、当時の都市文化――つまり、商人や職人、市民たちが新しい嗜好や流行を取り入れ始めた18世紀初頭のヨーロッパの息吹が、見事に刻まれています。

初演はコーヒーハウスで――庶民のための音楽空間

この作品が初めて演奏されたのは、ライプツィヒの**ツィンマーマン・コーヒー・ハウス(Café Zimmermann)**でした。
ここは学生や市民も自由に出入りできるカフェで、コーヒー片手に音楽を楽しむ――そんな“市民のためのコンサート空間”だったのです。教会や宮廷ではなく、まさに生活の中に音楽が息づいていた場所でした。

 

Netherlands Bach Society(オランダ・バッハ協会)
初演当時のツィンマーマン・コーヒーハウスを現代風に再現。小編成による、まさに愉快な魅せる演奏

 

演奏にあたったのは、バッハが指導していた「コレギウム・ムジクム」。
メンバーは主にライプツィヒ大学の学生や地元の音楽家たちで、編成は小規模――弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)に通奏低音、フルート1本、そして3人の歌手(テノール=語り手、バス=父、ソプラノ=娘)。
この軽やかな編成が、作品の明るい風合いを支えています。
華美なオーケストラではなく、まさに“カフェの音楽”としての親密さが魅力なのです。

バッハの“ユーモア精神”

バッハというと、あまり笑わない人物を思い浮かべがちですが、この《コーヒー・カンタータ》には彼のユーモアが詰まっています。
言葉遊び、テンポの変化、旋律の皮肉なねじれ……すべてが音楽的なウィットでできている。たとえば、父が娘を叱る場面では、伴奏がいかにも「お説教」らしい堅苦しいリズムで進みます。ところが娘のパートになると、一転して軽やかで甘い旋律が広がる。音楽そのものが、親子の性格の対比を描き出しているのです。

また、演奏場所が教会ではなくコーヒーハウスだったという事実も重要です。
バッハは、信仰のための音楽と並行して、人々の日常の中で楽しむ音楽を作り続けていました。
この「音楽と日常の融合」こそ、のちのモーツァルトやハイドンへとつながる近代的な音楽文化の萌芽です。

コーヒーが運んだ“近代”の香り

コーヒーは、ヨーロッパにおいて単なる飲み物ではありませんでした。
それは、異文化との出会いの象徴であり、新しい生活スタイルのシンボルでもあったのです。
17世紀のロンドンやウィーン、パリでは、コーヒーハウスが情報交換や社交の場となり、やがて啓蒙思想の温床ともなっていきます。
つまりコーヒーは、「神の秩序」から「理性の時代」へと移り変わる18世紀ヨーロッパの精神的転換を象徴する飲み物でもありました。

その流れのなかで、バッハがこの題材を選んだことは、単なる冗談ではなく、当時の社会変化を敏感に感じ取っていた証拠でもあります。
《コーヒー・カンタータ》は、音楽史的にも文化史的にも、まさに“モダンの入口”に立つ作品なのです。

おわりに ―― コーヒー片手に、微笑むバッハ

もしあなたが「バッハ=難しい」「堅苦しい」と感じているなら、
この《コーヒー・カンタータ》こそ、最初に聴くべき作品かもしれません。
宗教的な威厳ではなく、日常の小さな幸福。荘厳なコラールではなく、カフェで交わされる親子の掛け合い。そこには、誰もが共感できる“生活の匂い”があるのです。

バッハは、ただの神の僕ではなく、人生を楽しむ達人でもありました。
そして彼の音楽には、信仰もユーモアも、すべて包み込む豊かさがあります。
――さあ、今日の午後は、コーヒーを一杯淹れて。
少し軽やかな気分で、この演奏を楽しんでみてください。

 


【歌詞(抄訳)】

ドイツ語は基本的にローマ字読みです。
一つの歌詞を繰り返し歌っているので、よく聴くとそれなりにわかります。

1. レチタティーヴォ(ナレーター) ― 「静かに、さあ始まるよ」

Deutsch

Schweigt stille, plaudert nicht,
und hört, was jetzt geschieht:
Da kömmt Herr Schlendrian
mit seiner Tochter Liesgen her,
er brummt ja wie ein Zeidelbär.

日本語訳

静かに。おしゃべりはおしまい。
これから起こることに耳を傾けよう。
ほら、シュレンドリアン氏が娘リースヒェンを連れてやって来る。
彼は熊のようにぶつぶつ文句を言っている。

2. アリア(バス=父) ― 「子どもは手がかかる」

Deutsch

Hat man nicht mit seinen Kindern
hunderttausend Hudelei!
Was ich immer alle Tage
meiner Tochter Liesgen sage,
geht ihr wieder aus dem Sinn.

日本語訳

やれやれ、子どもというものは いったいどれほど手がかかるのだ。
毎日のように言い聞かせるのに、
私の娘リースヒェンは、すぐに忘れてしまう。

3. レチタティーヴォ(父と娘のやり取り)

Deutsch

Vater: Du böses Kind, du loses Mädchen!
Ach! Wenn ich dich erwische!

Liesgen: Ach, lieber Vater, seid nicht so grob!
Kaffee trinken, das ist mein Vergnügen;
wenn ich keinen Kaffee trinken darf,
so werd ich zu meiner Pein
wie ein verdorrtes Ziegenbein!

日本語訳

父: この悪い子! いたずら娘め!
まったく、見つけたらただじゃおかんぞ。

娘: ああお父さま、そんなに怒らないで!
コーヒーを飲むのが私の楽しみ。
もし飲めないのなら、私は悲しみのあまり
干からびたヤギの脚みたいになってしまうわ!

4. アリア(ソプラノ=娘) ― 「コーヒーは千のキスより甘い」

Deutsch

Ei! wie schmeckt der Coffee süße,
lieblicher als tausend Küsse,
milder als Muskatenwein!
Coffee, Coffee muss ich haben,
und wenn jemand mich will laben,
ach, so schenkt mir Coffee ein!

日本語訳

ああ、なんて甘く美味しいコーヒー!
千のキスより愛らしく、
マスカットワインよりもやさしい。
コーヒー、コーヒーがなくては生きられない!
誰か私を慰めたいなら、お願い、コーヒーを注いで!

5. レチタティーヴォ(父の禁止令/娘の開き直り)

Deutsch

Vater: Wenn du den Coffee nicht lässt,
so sollst du nicht zum Fenster schaun,
noch aus dem Hause gehen!

Liesgen: Ei, so muss es eben sein!
Coffee, Coffee über alles!

日本語訳

父: コーヒーをやめないのなら、
窓の外も見せぬ、家から一歩も出すまい!

娘: それならそれで結構ですわ。
私には何よりコーヒーが大事ですもの!

6. アリア(テノール=ナレーター)

Deutsch

Mädchen, die von Liebe singen,
und den Coffee nicht lassen,
sind gar oft die Besten!

日本語訳

恋を歌いながらもコーヒーを手放さない娘こそ、
案外いちばん魅力的だったりするのだ。

7. 終曲(レチタティーヴォ+三重唱) ― 「コーヒーを注いでくれる人と結婚します!」

Deutsch

Liesgen: Nein! so bleib ich unverzagt,
daß mir keiner Coffee versagt!
Kein Liebster soll mir kommen ins Haus,
der mir nicht Coffee kredenzt!

Narrator: Der Vater sieht’s und lacht dabei,
die Tochter trinkt den Coffee frei.

日本語訳

娘: いいえ、私は決して譲りません。
コーヒーを禁じる人とは結婚しない!
私の家に入れるのは、コーヒーを注いでくれる人だけ。

語り: 父はそれを見て笑い、
娘は自由にコーヒーを飲むのだった。

(訳:編集部)